コーネルロースクール LL.M. のお話

コーネルロースクールに通うことになる人たちにとって参考になればいいなと思っています。

コーネルロースクール LL.M. のお話

友人との再会

”19:00、タイムズスクエアにある、Ton's DiNapoli ”

 

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僕は、待ち合わせの約3分前に店の前に到着した。

もうすでに来ているかと思い、一度店の中に入って予約を確認したところ、予約の人数が揃わないと席に案内しないと言われた。

店の入り口付近で待っている人たちを見回してみたが、特にそこにいる感じでもなかった。

「とりあえず、外で待つか・・・」

 

僕は、外に出て、店の前で待っていた。すると、3分ぐらいだっただろうか?

「久しぶり!!もしかして結構待った?」 7番通りの方から女性の声が聞こえた。

「いや。今さっき来たところだよ…お久しぶりです」

彼女と話をするのは、5年ぶりだろうか?

 

僕は、ある女性と再会した・・・

 

彼女と出会ったのは、僕が大学2年生の時に、サンフランシスコでインターンをしていた時のことだった。

僕はその時、アメリカでインターンができるというプログラムに参加しており、他のプログラム参加者と一緒に、ある宿に泊まっていた。

彼女は当時、サンフランシスコの語学学校に通っており、その宿を利用していた。

彼女は、僕を含めた他のプログラム参加者と仲良くなり、一度みんなでヨセミテ国立公園に行ったりもした。

 

しかし、日本に戻った後、僕はそのプログラム参加者とあんまり連絡を取らず、クリスマス会等があったらしいが、あまり積極的に参加をしなかった。

そのころの僕は、とても幼く、「偶々こんなプログラムで知り合った人たちは、いろんな学校から来ている。同じ学校ならともかく、他の学校の人とはいずれ関係が軽薄になる。仲良くしても後に生きない」っと、今になって思うととても哀れになるぐらいに、ワガママに、そして孤独に生きようとしていた。

 

・・・・・・

 

僕「Aさんは何をやっているの?フェイスブックをチェックしたところ、今は日本企業のアメリカ支社で働いているみたいだけども?」

フェイスブック上では繋がっていたが、僕は特に彼女と連絡をとる用事が無かったため、サンフランシスコで会って以来、彼女の事については何にも知らなかった。

僕が彼女とNYCでご飯を食べることになったのも、彼女が僕がコーネルに関するフェイスブックの投稿に「いいね!」を押してくれたため、「そういえば、1年前ぐらいにNYCで働くとか投稿していたっけ?」っと、僕が思いだし、おもむろに「飯でも」と連絡を取ったのがきっかけであった。

彼女が僕の事を覚えてくれて、快くOKしてくれただけでも、非常に嬉しい話であった。

 

A「私は、NYC現地の支社に直接就職したの。だから、日本の企業から派遣されているわけじゃないの。」

僕「え!?じゃあ日本から派遣されている人たちに比べれば給料が少ないんじゃないの?ここでやってくのは大変じゃない???」

A「まぁ・・・派遣の人に比べたら給料は少ないよね・・・」

彼女は、最初に就職した会社で働いていた時に、「NYCで働きたい」と思ったらしく、会社を辞めて、今の会社に就職したそうだ。

・・・僕の予想の斜め上であった。てっきり日本の企業に就職し直して、こっちに派遣されていると思っていた。

女性単身でNYCに飛び込んで、一人暮らしを始めて、仕事をするというのは・・・決して簡単なことではない。

少なくとも、僕が彼女と同じ立場だったら、それなりの覚悟がなければ、その決断をすることはできない。

僕は、日本にいた時に、ウーマン・オン・ザ・プラネットという、女性が一人で海外で新しい生活を始めるのを追っかける番組を見ていたが、そこに出てくる女性は、みんな苦労していた気がする。

今でこそ飄々としゃべってはいるが、最初の頃の彼女の生活は決して楽なものではなかったのではないだろうか?

 

A「ところで、君は何をやっていたの?なんでここにいるの?」

僕「まぁ・・・少し長い話なんだけども・・・」

僕はサンフランシスコでインターンをした後、少し悩んでいた。このままでいいのか?

僕はインターン先で使い物にならなかった。英語面でも。経験面でも。知識面でも。

 

その半年後、僕はモザンビークで、スラムの子供に勉強を教えるボランティアをしていた。

理由はいくつかあった。

①日本人がいないところで、日本人が何かを含めて、自分と向き合いたかった。

②日本人がはたしてアフリカで生きていけるか、自身の身を持って、確かめてみたかった。

③まだ、自分の中で英語が納得いく形まで作り上げられていなかった。

・・・ここら辺が、大きな理由として挙がるところである。

モザンビークでの1ヶ月半は地獄で、ポルトガル語が喋れないから一人で食べ物も注文できず、ドイツ人について回る日々であった。

屈辱的であった。その上、少し孤独にも感じた。

浜辺で、いかに自分がちっぽけな、力のない存在かと、悩んだ時もあった。

 

モザンビークから帰ってきて数か月後、偶然知り合った弁護士の先生に「シンガポールの事務所でインターンやってみない?」と誘われ、誘いに乗っかってインターンをしてみた結果、絶望的なレベルで、自分が法律、英語の面で通用しないことを知った。

そして、東南アジア、特にミャンマーに進出する日本企業相手に、弁護士が足りていいないことを知り、いつからか、そういった仕事をしている弁護士の先生に、自分の将来像を重ねるようになった。

 

大学を卒業し、日本のロースクールに入り、自分の知識不足を知り、周りとの差に愕然とし、なんでもっと大学時代に法律と真面目に向き合わなかったんだろうと、後悔をした。

そんなこんなで、周りに迷惑をかけて、何とか交換留学生として派遣してもらえる程度の成績を取って、やっとコーネルまで来た。

 

ここまで来るのに、色んな人から、色んなことを言われた。

「お前アメリカの資格取って、なにがしたいの?」

「お前、まだLLMをあきらめてなかったの?」

「自分の限界っていつ決めるの?年齢?自分が限界だって認めた時?」

「あんたが弁護士になっても、誰もあんたに仕事なんて頼まないよ」

「お前が遊んだり、法律以外の事をしている時に、俺は法律の勉強をひたすらしてきた。だから、俺は今いい成績を取って、こうやっていられる」

「英語が出来なくても、法律が出来なければ、弁護士にはなれないから」

「志が高いなら、それ相応の力を手に入れなければね」

嫉妬心から来る一言、純粋な激励、はなから理解する気のない人間からの一言。

友人だけではなく、親戚や、兄弟からも、厳しい言葉が飛んできた。

 

最終的に、僕の中にある何かを理解してくれたかどうかは分からない。

それでも、ほとんどの人たちが出国前には激励の言葉をかけて、送り出してくれた。

かつて、厳しい言葉をかけてきた彼らを見返すためにも、送り出してくれた友人の期待を裏切らないためにも、僕はこっちで、ちゃんと結果を残さなければならない。

その覚悟でこっちに来た。

 

しかし、今度はここで勉強について行けず、落ちこぼれそうになっている・・・

 

「人生は、壁の連続である。乗り越えて行かなければ先に進むことはできない」

出国前に、母親に言われた。

社会人の人たちに比べれば大した壁ではないのかもしれないが、大学四年間でも、それを理解できる程度には、壁にぶつかったつもりだった。

覚悟はしていた。

 

「お前はどういうわけか、避けられる困難も避けずに、真正面からぶつかっていく。心配だ」

僕は人一倍不器用だ。上手くトラブルを回避できるよう器用さはない。真正面からぶつかって、乗り越えていくしかない。

それくらいの事は自覚していたし、当分はそのスタイルを貫く覚悟はあった。

 

しかし、今回の壁は、とても高く、乗り越えるために試行錯誤を繰り返してはいるが、未だに方向性が見えてこない。

実際、少し沈んでいた。

 

・・・・・

 

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いつの間にか、僕は、彼女に自分の現状の悩みを打ち明けていた。

見苦しいだろう。5年ぶりに会って、弱音である。

気付けば、ワインボトルが1本空いていた。

 

「でも、自分で選んで、掴み取った道でしょ?」彼女は言った。

酔いが回りだしていたのだが、その言葉を聞いた時に、一瞬酔いがさめた。

「君は、自分のワガママで、今の道を選んだんでしょ?苦労したのかもしれないけど、結果としてここまで来ている。それなのに、君は弱音を吐くの?」

「つらい時だってあるから、弱音を吐くことはあってもいい。でも、弱音を吐く相手は、日本にいる人たちに対してではないよ。それは日本で送り出してくれた人たちに失礼。吐いていい相手がいるとすれば、それは私たちのように、こっちにいる人だけだよ」

・・・敵わんな。

 

5年と言う時間は、人を変えるのには十分な時間なのだろう。

彼女は社会人5年目。様々な経験をしたのかもしれない。

僕は未だ学生。経験と言えば、せいぜいインターンで先生に任された仕事を見てもらったら、出来が悪くて、真っ赤になって返ってきたぐらいの経験だろうか?

 

僕は一浪して大学に入ったので、彼女とは1歳しか違わない(彼女の方が1歳年上)

しかし、彼女と僕の間には、簡単には埋めることのできない人間的な差がある気がした。

彼女は、きっと僕以上に苦労し、悩んできたが、唇をかみしめ、乗り越えてきたのだろう。結局最後まで、彼女がどんなつらい経験をしたかを聞き出すことはできなかったが。

 

僕は友人に恵まれているのだろう。

25歳にもなって、こうやって叱ってくれる友人がいることに、僕は感謝しなければならないはずだ。

しかし、一方でそれは僕の弱さなのかもしれない。きっと僕は友達に甘えているのだろう。

 

どこかで、彼女の持つ、強さを身に着けなければならないと思った。

歯を食いしばり、踏ん張る強さ。僕に必要なのは、そんな強さだろうか?

僕の中の何かに、灯がともった気がする。

 

彼女と別れた後に思った。

またどこかで、ひょんなことから会うのかもしれない。それもまた5年後ぐらいに。

僕はその時には、今に比べれば少しは成長しているだろうか・・・

そんなことを思いながら、僕はホテルへの帰路を急いだ。

 

 

長い間更新してませんでした。

それと、少し文体を変えてみました。いかがでしょうか?

不定期ですが、また更新していきたいと思います。

 

 ※読んだ友達に格好つけてる感じと言われ、恥ずかしくなったので、やっぱり辞めます(笑)